港区高輪に大使館が多い原因は江戸時代の状況にあり! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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港区の特に高輪近辺には、数多くの外国大使館があります。

それには、理由がしっかりあります。

 

1858年に日米修好通商条約をはじめとする「安政の五カ

国条約」が締結されると、その翌年にイギリスの初代公使・

オールコックらが、高輪の東禅寺に駐在しました。このお寺

が、最初のイギリス公使館になったのです。

 

東禅寺からほど近い長応寺は、オランダ。三田の済海寺は、

フランスが公館とするなど、港区に公館が次々と生まれて行

きました。

 

これは1つに、港のある横浜と江戸の中心部を結ぶ途中にあ

るという地理的条件が良かったこと。そして寺が多かったこ

とがもう1つの理由としてあります。寺は大人数を収容でき

るということ、そして境内が広いために警固がしやすいとい

う利点が、ありました。

 

さらに明治になると、大名屋敷が次々と空き家になります。

これらの跡地が外国人に提供され、本格的な大使館が建てら

れて行きました。

 

高輪に大名屋敷自体が多かったのもありますが、高輪近辺は

高台で見晴らしが良く、日当たりにも恵まれていたため、や

はり外国人に好まれました。従って、大使館がどんどん建て

られて行ったということです。