「富山の薬売り」が江戸時代以降大発展した理由 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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戦国時代から薬の行商人は、たくさんいました。甲賀忍者が

主にそれに化けていたくらいなので、かなりでしょう。

 

しかし江戸時代以降で尚「薬売り」を続けていたとなると、

やはり富山が最も有名でしょう。現代まで続いていますから。

私が子供の頃、富山の薬売りのおじさんが、必ず定期的に家

に来ていました。

 

富山藩の2代目藩主・前田正甫(まさとし)が自ら薬の製法

を学んだことから、藩の産業として、発展して行ったのです。

 

一時他国への行商が禁じられていましたが、江戸中期に許さ

れたので、富山の薬売りは藩の指導と保護を受けて大発展し

ます。

 

特に「反魂丹」と呼ばれた腹薬は藩主・前田正甫自らつくり

方を学んだ薬ということで、富山の薬の原点とも言えるでし

ょう。この「反魂丹」は、今でも胃腸薬として飲まれていて、

老舗現役です。

 

他にも、吐き気や急性の腹壊しに効くとして開発された「五

苓散」も、今も吐き気や嘔吐、そしてむくみにも効く漢方薬

として、活躍しています。

 

ちなみに江戸時代から現在まで使用される薬として最も代表

的なのは、秋田藩で考案・開発された「龍角散」で、これは

成分やつくり方が江戸時代から変わっていません。改良が試

みられたことはあるのですが、あまりにも当初のものの出来

が素晴らし過ぎて、というか完璧過ぎて改良の必要があまり

になさ過ぎたそうです。