世阿弥の父・観阿弥は楠木正成の甥だった? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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楠木正成が鎌倉幕府軍に対して繰り返したゲリラ戦、籠城戦、

心理戦などの手法は「忍術の王道」として、後の忍術書に数

多く紹介されています。

 

従って楠木正成が「忍者」出身であることはかなり確実視さ

れています。そして服部家ともつながりが深いことも、言わ

れてきています。

 

昭和37年に三重県の旧家で発見された『上嶋家文書』の中

にある「観世系図」によると、楠木正成の妹が服部元就に嫁

ぎ、その2人の間に生まれたのが観阿弥であったと、しっか

り記述されているのです。

 

この『上嶋家文書』については真贋が色々議論されているよ

うですが、少なくとも全てが嘘ということはありえませんし、

この部分に関しては事実だと思います。

 

また1430(永享2)年に完成された、世阿弥の芸談を筆

録したとされる『世子六十以後申楽談儀』には、楠木正成と

の関りはないものの、観阿弥の祖父が服部氏に生まれたこと

が書かれています。

 

観阿弥は「猿楽」の創始者で、猿楽は能の元祖とされますが

当初は「軽業」としての要素が強く、身体能力を生かした曲

芸まがいのことを多分に取り入れていたとされます。そして

後にも忍者たちが普段行なう職種として、猿楽師があったと

いうのは常識化されています。

 

従って観阿弥が服部家の忍者だった確率は極めて高いし、楠

木正成の妹の子ということは正成の甥になります。非常に面

白い話ですね。