江戸時代中後期の横綱・谷風の驚異的な強さと当時の妙な大相撲事情 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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4代横綱とされる谷風梶之助は、1750年生まれで179

5年に亡くなっています。18世紀後半を、駆け足で生き抜

いたといえるでしょう。

 

尚、4代横綱と冒頭で書きましたが、前の3人は名誉称号だ

ったため、実質は初代横綱と呼んでも良いと思います。

 

1769年に初土俵で1776年に2代目谷風に改名し、1

782年に、63連勝を記録しています。この連勝はライバ

ルとされた小野川に止められたのですが、翌日からまた43

連勝するというスーパーマンぶりを発揮しています。

 

そして上記の63連勝なのですが、せいかくには8連勝とも

言えるのです。というのは、この当時、江戸の他に大坂と京

都にも相撲協会があり、計3つの相撲協会がそれぞれ運営し

ていたのです。

 

従って大坂場所と京都場所も存在したのですが、本場所と認

められたのは江戸場所だけで、他は単なる興行扱い。勝敗は

参考記録として留められていました。谷風は63連勝の間に

大坂場所と京都場所にも出場していて35連勝していたため、

合計98連勝となるのです。

 

尚、江戸時代のスーパー強豪力士というと雷電為衛門がすぐ

に思い浮かびますが、少しだけ時がずれています。1784

年、雷電は谷風に弟子入りしています。つまり、師弟関係だ

ったのです。そして1795年、雷電が大関に昇進したこの

年、谷風は現役のまま病死しているのです。

 

そんな経緯のため、この2人のどっちが強かったかは、結論

が出ないはずです。2人ともとても強かった。ということし

か言えないのです。