民話「桃太郎」のモデルとなった吉備津彦の伝説 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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第11代とされる垂仁天皇の時代の話ということです。異国

の鬼神・温羅(うら)が吉備国すなわち今の岡山に飛んでや

って来て、備中の新山に居城を、岩屋山には付属ともいえる

城を築きました。

 

この温羅は乱暴狼藉を働き、ものをかすめ取ったりもするの

で、人々は苦しんだそうです。

 

朝廷は何度も兵を出したのですが、温羅はなかなかの知恵者

でもあり、その戦術も巧みだったため、兵たちは全くかなわ

なかったといいます。

 

そこで温羅攻略のために選ばれたのが、吉備津彦でした。吉

備津彦はまず、石の城を築き、温羅との本格的な戦いに入り

ました。

 

激戦となりますが、吉備津彦はとうとう温羅の左目を矢で射

抜くことに成功します。すると温羅の目からは大量の血が流

れ、川となったそうです。

 

吉備津彦はさらに温羅の首を斬り落とし、犬養武に命じて犬

に屍を食わせました。それでも温羅は吠え続けたといいます。

仕方ないので吉備津彦は温羅のドクロを吉備津宮に埋めるの

ですが、13年間吠え続けたということです。

 

このグロテスクな神話が、「桃太郎」の元ネタなのだそうで

す。まあ物騒な部分を全て親しみやすくアレンジしているの

でしょう。