彦根藩と対立したことが幕府崩壊を早めた! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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昨日、井伊直弼暗殺を断行した水戸藩に対して幕府が何のお

咎めもしなかったことを、書きました。それどころか政府は

この「桜田門外の変」の後、彦根藩を処罰したのです。35

万石の所領を、25万石にまで減らしています。

 

これに対し、彦根藩は当然ながら、怒ります。彦根藩は水戸

と幕府を恨み、新政府の側についています。幕府と、決別し

てしまったのでした。

 

このことは幕府にとって、大きな痛手となったのです。とい

うのも実は彦根藩は西国の抑えとして機能し、京都の治安維

持に貢献していたのです。その彦根藩を冷遇して恨みを買っ

たため、西国の倒幕勢力を抑える機能を失いました。

 

それによって西国の倒幕勢力は彦根を自由に通り過ぎ、東へ

進撃することが出来たのです。そのため幕府は、滅んでいま

す。

 

尚、明治維新の後は武士階級の没落により、各地の城は荒廃

し、解体される所が多くなりました。彦根城も、その1つに

なる予定だったそうです。

 

しかし明治天皇が巡幸し、彦根の福田寺に立ち寄った際、住

職の夫人が彦根城解体の話をし、どうにかそれを中止させる

方法はないかと訴えたそうです。

 

天皇はその訴えに賛同し、彦根城の解体中止と保存を命じた

ということです。おかげで彦根城は、今日も健在です。