「怨霊伝説」がある歴史上の人物は、数多くいます。実はほとんど
語られることもないですが、織田信長にも「怨霊伝説」があるそう
なのです。
信長は、安土城とその周辺に莫大な黄金を所有して貯蔵していたと
いいます。「本能寺の変」の後に明智光秀が全て持ち出して朝廷や
有力寺社に配ってしまったとされていましたが、それが嘘であるこ
とも、確実視されています。
明智光秀は「本能寺の変」の後に豊臣秀吉との戦いがあって、その
後死んだことになっているので、黄金を持ち出して配るなんて暇は
なかったはずです。もし本当にやったとしたら「山崎の戦」の後の
ことでして、それこそ「天海」になった後としか考えられません。
それこそ、「明智光秀=天海」であることの証明になります。
まあ仮に「明智光秀=天海」であったにしても、安土の黄金を持ち
出して配る余裕があったかは疑問です。
ということで黄金は、信長没後も安土山中に眠り続けていたと考え
るのが妥当なところです。そこで何人かの浪人グループが、安土山
中に入って黄金の発掘を試みたことがあるそうです。
しかし彼らの前に、数十騎の武者が襲い掛かって来たというのです。
浪人たちも応戦したのですが、全く手応えがなく、同士討ちの形に
なって死者が出たそうです。
その浪人たちのうちの1人の証言によると、「武者たちの中に寝間
着姿の立派な武士がいて、大身の槍で攻撃して来た」というのでし
た。その武士が、織田信長の亡霊ではないかというのです。
その後も埋蔵金目当てに安土に入った者は皆、奇妙な死を遂げたと
いうことで、「織田信長怨霊伝説」は広がりました。そうした話を
聞いた豊臣秀吉は、安土城址へ入ることを禁じ、自ら信長の霊の供
養をしたそうです。