織田信長が目指していたものは最後まで謎のままでした! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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「本能寺の変」の黒幕が朝廷だったのではないか?という説

は、根強くあります。その理由はいくつもあるのですが、1

つには、信長が何を目指しているのかがわからなくて、とて

も不気味だったというのが、あります。

 

信長は、寡黙で思いを人に話さないというような気難しさは、

全くありません。逆に気さくでよく話し、しかも巧みな話術

で実に雄弁だったようです。しかし自分が最終的に何をしよ

うとしているのか、天下を平定しようとしているのはわかる

けどその後何をしようとしているのかは、絶対に話そうとし

なかったそうなのです。

 

たとえば、そのポストです。平清盛は太政大臣という役職で

政治を動かしました。北条氏は執権、豊臣秀吉は関白として、

政務の実権を握りました。勿論源頼朝や足利尊氏らは、征夷

大将軍として、それこそ武家のトップとして権力の頂点に立

っています。

 

しかし織田信長は、それらのどの役職にも興味を示さなかっ

たそうです。将軍・足利義昭の許でも、副将軍職や管理職を

義昭や幕府が用意したのにことごとく断っていました。幕府

滅亡後も、朝廷から管理職を打診されていましたが、興味を

示しませんでした。

 

朝廷としては、そんな織田信長が、不気味でした。この人物

が天下を取ったら(時間の問題となっていましたので)一体

何をしでかすのだろうというのが、気がかりでならなかった

ようなのです。

 

1582(天正10)年4月、朝廷は満を持して信長に話を持

ち掛けています。太政大臣、関白、将軍、どの役職にも推挙す

る。欲しい官のどれでも良いから選んでくれ。与える。と。

 

しかしその持ち掛けにも、信長は答えようとしなかったそうで

す。考えがあるのは確かなのですが、それを絶対に明かさなか

ったのです。それが朝廷には不気味で、脅威でもありました。

 

それだけに、様々な憶測も、読んでいました。信長は天下を取

った後、これまでの社会通念を全てぶち壊し、朝廷の権限も全

て奪って自分の意のままにしようとしているとか。実際安土城

の内部には、「皇居」も用意されていたそうです。朝廷が脅威

を感じないはずがありません。

 

そして話を持ち掛けてから1カ月ちょっと後の6月2日、「本

能寺の変」は勃発しました。朝廷が絡んでいると見るのも、全

く突飛な説ではありませんね。それにしても織田信長は、何を

最終的にやろうとしていたのか。興味は尽きません。