室町幕府の成立年は鎌倉幕府以上に定かでありません! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

鎌倉幕府の成立年が不確かというか、長年言われて来た11

92年というのが崩れて論議が分かれているというのが現状

です。

 

ただし室町幕府の成立年は、もっと不確かです。鎌倉幕府の

1192年とされて来た根拠は、源頼朝が征夷大将軍になっ

た年だからです。そして室町幕府の成立年は1338年とさ

れていますが、これも足利尊氏が征夷大将軍に任じられた年

だからです。長年の鎌倉幕府の場合の根拠と、同じです。

 

しかし鎌倉幕府を開設した源頼朝が征夷大将軍に任じられた

1192年が鎌倉幕府の成立年でないなら、室町幕府を開設

した足利尊氏が征夷大将軍に任じられた1338年が室町幕

府の成立年だという根拠も、揺らぐのです。

 

足利尊氏はこれより前の1335年に、新田義貞を討つと宣

言して兵を挙げました。それに対して後醍醐天皇は、義貞に

尊氏追討の命を出しました。この時点での情勢は互角なので、

とても「室町幕府成立」などを言える段階ではありません。

 

足利尊氏は一時劣勢となり、九州に逃げました。しかし翌年

1136年、再起して東上し、6月に京都を占領して8月に

光明天皇を立てて後醍醐天皇と和睦をしています。

 

ここを幕府成立年とする考え方もありますが、後醍醐天皇は

実は「和睦のフリ」をしただけで、11月には京都から吉野

に逃れ、抵抗を続けます。

 

その後の1138年に足利尊氏は征夷大将軍に任じられます

が、後醍醐天皇らが意外と善戦したため、まだしばらく混沌

とした時代が続きます。「室町幕府」などとする呼称も、存

在しませんでした。

 

その呼称は3代将軍・足利義満が京都の室町に「花の御所」

と呼ばれる邸宅を築いたために生まれたものですが、それは

1376年まで待たなければなりません。

 

その時はすでに「幕府」そのものは成立していたし、成立年

をそこまで待つという考え方は存在しません。幕府による政

治は成されていました。

 

となると、やはり1338年しかなくなるのです。鎌倉幕府

のようにいくつも候補があって論議が尽きないのと逆に、室

町幕府の場合は候補がなさ過ぎて論議が出来ず、消去法で尊

氏が征夷大将軍になった1338年にするしかなかったとい

うのが実情のようです。