弥生時代に占いが大流行したことで優秀な霊能者や巫女が誕生した! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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弥生時代と縄文時代の境界線は、定かでありません。そもそ

も弥生時代という命名ですが、以前も書いたように「弥生式土

器」と呼ばれる土器が明治時代に東京都文京区にある「弥生

町」で見つかったことに由来しているのです。

 

弥生町で見つかったから弥生式土器。そして弥生時代。かな

り頼りない命名です。なので境界線のない縄文時代から弥生

時代への移行でした。

 

ただし、変化はありました。渡来人たちの技術持ち込みにより、

水田稲作など高度な農業が取り入れられ、農業はいっそう発展

します。そして産業社会が、生まれました。

 

となると、農地の確保が地域社会にとって大きな課題になります。

そこで、農地の奪い合いが生じ、やがて戦争にも発展するのです。

 

戦争が起こると、必ず流行というか必須のように付き物となるのが、

占いです。弥生時代も、占いが大いに流行りました。

 

その中で最もポピュラーだったのが、「卜骨」と呼ばれるものです。

これは、動物の骨を焼いてその亀裂の形によって吉凶や近々起き

る出来事を占うのです。

 

ただしこれは、詳しいマニュアルがあるわけでえはなく、亀裂を見た

だけで誰もが占えるわけでもありません。従って、有能な人物が鑑

定するのです。洞察力や霊力のある人が鑑定(占い)師となりました。

 

そうした占いの習慣により、優秀な霊能者や呪術師が弥生時代に

数多く誕生したのは、そのためです。