山本勘助が実在を疑われるのは「呪術的占い師」で「霊能者」でもあったからか? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

戦国時代、戦には10人以上の占い師が同行していました。た

だその「占い師」というのは今風に言い直したもので、正確には

「占術師」でして、「占術」は立派な「戦術」でした。

 

なので同行する「占術師」たちは、作戦面を担当する「軍師」とし

て同行するわけです。

 

その占術軍師の中にも、参謀的な存在と呪術者的存在がいた

そうです。現代人が理解しやすいのは参謀的軍師の方で、方位

や日取り、天文地理を総合して占い、軍陣の配置や進退を進言

するものです。

 

しかしむしろ本来の軍師は、呪術者的な軍師の方だったそうな

のです。いわば「見えないものを見る」という、霊能者に近いこと

をしていた軍師たちです。

 

そしてその代表的な人物が、武田信玄に仕えた山本勘助でした。

武田家の軍学書である『甲陽軍鑑』によると、山本勘助のことを

「霊気いん気、そのほか烏・鳶・鳩の三軍鳥によって戦況を占う

名人」と書かれています。

 

「いん気」と平仮名を入れたのは、変換不能な漢字があったから

です。「火偏」につくりが「因」と書きます。「霊気いん気」は、気象

学に気学を組み合わせたものでした。

 

山本勘助は兵学を学んだ後、高野山でも修行を積み、守護神・

摩利支天の像を授かったとも言われています。

 

つまり山本勘助は霊能者でもあり、霊力を駆使する軍師だったの

です。一時期山本勘助の実在性が疑われたこともありますが、そ

れも「霊能や霊力」といったような目に見えない世界を信じない風

潮があった時期の偏見が、多分にあったと思われます。

 

今は、この宇宙の95パーセント以上が地球人の目に見えないこ

とが、判明しています。その目に見えないダークマターの世界の力、

ダークエネルギーを味方にしようという考えはいたって現実的で、

その具体的な方法を探るのは、科学的作業です。なので何ら不自

然ではありませんね。

 

ということで、山本勘助は優秀な霊能者で占術師だったのです。

勿論、実在していました。