現在でもしばしば展覧会が開かれる浮世絵師の大家であ
る葛飾北斎ですが、彼のピークというか全盛期と言えるの
は、70代とされています
「富獄三十六景」が72歳、「富獄百景」は75歳、そしてそ
の後も代表作を書き続けていました。
そんな葛飾北斎は、次のようなことを常々述べていたそう
です。
「私は五十の頃からしきりに絵を描いてきたが、七十前に
描いた絵は取るに足らないものである。七十三歳にして鳥
や獣、虫、魚などの骨格、草木が成長するさまを描くことが
できるようになった」
ということです。
五十の頃からしきりに描いてきたということですが、画家デ
ビューは20歳前です。大器晩成なのか、それとも若い時は
情熱がなかったということなのか、よくわかりません。
そしてさらに、将来の展望についても、続けて述べています。
「それゆえ、八十になると悟りがますます進み、九十歳にでも
なればその奥義を深め、百歳にはまさに神業を得ているだろ
う。百十歳には非の打ちどころもなく、生けるがごとく描けるだ
ろう」
つまり70代の時に、110歳の自分を見据えていたのです。人
間、健康でさえあれば永遠に成長し続けることが出来るという
わけです。ただそんな北斎は、90歳で息を引き取りました。彼
の最期を看取ったのは、父の跡を継いで絵師となっていた三女
のお栄でした。
お栄の画号は、「応為(おうい)」と言いましたが、それは北斎が
彼女を呼ぶ時面倒くさがって「おーい、おーい」と呼んでいたから
ということです。
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