長屋王の呪いによる天変地異? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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710(和銅3)年、平城京が建設されて遷都が行なわれまし

た。この遷都を主導したのは、中臣鎌足の息子である藤原

不比等です。

 

そしてこの不比等と並んで平城京の実力者となったのが、

天武天皇の孫である長屋王です。天武天皇と中臣(後に藤

原)鎌足が仲が良かったかどうかは微妙ですが、長屋王は

不比等の娘を妃に迎えて連携を強化していました。

 

しかし720(養老4)年に不比等が死去すると、様相が変わ

ります。長屋王に権力が集中するわけですが、それを良く思

わない人物が出て来ました。不比等の息子たちです。

 

武智麻呂、房前、宇合、麻呂の藤原4兄弟が、長屋王の失

脚を試みるようになりました。理由は、父の死とそれによる

長屋王の権力集中によって藤原家の立場が弱くなり、皇族

優遇になるからです。

 

729(天平元)年、「長屋王が密かに呪術を学んで謀反を企

てている」とでっち上げ、4人は長屋王を討伐してしまいまし

た。そして4兄弟は妹の光明子を聖武天皇の正妃とし、朝廷

の実権を握るのでした。

 

しかしこの長屋王討伐から5年後の734(天平6)年4月に、

「天平河内大和大地震」が起き、畿内を中心に甚大な被害を

もたらしました。

 

その後さらに、天然痘が大流行し、長屋王をでっち上げて殺

害までも断行した藤原4兄弟がこれにかかって病死してしまう

のでした。これらは全て、長屋王の呪いと当時は考えられてい

ました。