江戸時代に続いていた「日本三景」論争 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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日本を代表する美しい3つの景勝地、いわゆる「日本三景」

という言葉が定着していますが、どこかというと、松島、天橋

立、厳島になります。

 

この選定は、江戸時代前期の1643(寛永20)年に林鵞峰

(はやしがほう)が書いた『日本国事跡考』の中に記されたの

が、始まりです。

 

しかし江戸時代も中期に進むと、地理学者の古川古松軒が

異議を唱えます。自著の『東遊雑記』の中で、

「松島・天橋立・厳島を日本三景とする考えは愚眼の持ち主

であり、実際目にした経験からいえば、富士山、田子の浦、

清見ヶ関などが第一である」

と書いています。

 

さらに、やはり江戸時代中期の俳諧師・大淀三千風は、やは

り自著の『日本行脚全集』の中で、美しい景勝地の1位に田子

の浦を挙げ、松島は2位。天橋立は4位。厳島は7位としてい

ます。

 

ただし景色のどこが最も美しいかという序列は、多分に主観が

入ります。順位をつけるというのは、厳密に出来ることではあり

ません。

 

従って論争は続きましたが、結局最初に言われた3つの場所を

否定するだけの材料はなく、結局林鵞峰の記した三景がそのま

ま残ったというところです。