豊臣秀吉が淀について書いたかなり意味深な手紙 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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淀が豊臣秀頼を妊娠したことを知った豊臣秀吉は、正室であ

る北政所に、次のような手紙を送っています。

 

「また二の丸殿(淀殿)が身持ちになったと承った。めでたいこ

とだ。わしは子供など欲しくないので、そのつもりでいてくれ。太

閤の子は鶴松だったが、よそへ行ってしまったので、こんどの

は二の丸殿だけの子にしてよかろうと思っている」

 

側室の妊娠を正室に伝える手紙だけに、気を遣って心にないこ

とを言っているという見方も、あるでしょう。しかしそれにしても、

他人事っぽ過ぎます。北政所の器の大きさや勘の鋭さを考える

と、そうそう忖度の嘘が必要とも思えず、案外本心だった可能性

が高いです。

 

「二の丸殿だけの子」という表現も、腹の中の子供が自分の子で

ないことをわきまえていたから言えることかもしれません。上記し

たように生まれて来たのは秀頼なのですが、彼が秀吉の子でない

という説はかなり強いです。

 

そして淀の男関係はかなり盛んだったことがわかっており、秀頼

の実父に関しても候補は多くいます。大野治長との見方が強い

ですが、頼りにしている僧侶という見方もあり、名古屋山三郎と

いう美男の歌舞伎役者という説もあります。秀吉も、そうした淀の

男性関係は知っていて、諦めていたのでしょう。

 

徳川家康が生まれて来た秀頼の顔を見て吹き出したというエピソ

ードは、割と有名です。秀吉とは、似ても似つかぬ顔だったのです。

 

関ヶ原の戦いで多くの武将が豊臣家を裏切って、徳川方に就きま

した。石田三成憎しが理由ですが、秀頼が秀吉の実子でないこと

を多くが知っていた可能性もあります。だからこそ、豊臣家を裏切

りやすかったのかもしれません。