平安京においてとても優雅な乗り物だった牛車 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

『源氏物語』の中に、光源氏の正妻である葵の上と側室の六

条御息所がそれぞれ乗った牛車が鉢合わせて火花を散らす

場面があります。平安京において牛車は、主要な乗り物でした。

 

しかし「牛」という動物は、遅いことで知られます。だから「牛歩

戦術」なんて言葉が、あるくらいです。

 

中には闘牛で使われる牛のような素早い牛もいますが、平安

時代に牛車を引いていた牛は、1時間で3キロくらいの速さで、

人間の歩くのと同レベルだったそうです。

 

平安京と呼ばれる、いわば平安時代に貴族が住んだ地域は実

はとても狭く、政府がある大内裏を中心に東西南北それぞれ2

キロくらいの間に密集していたそうです。なのでゆっくり歩いても

30分以内に大内裏に着く場所に貴族は住んでいました。

 

なので牛車で職場である大内裏に通うことも可能だったのですが、

実際には早朝から出勤して昼前には仕事を終えて遊ぶというかな

り慌ただしいというかせっかちな生活パターンだったので、牛車を

出勤に使うということはなかったそうです。相当な速足で出勤し、

そそくさと仕事をして、あとは速攻で帰って遊ぶというパターンです。

 

なので牛車のような優雅というかのんびりした乗り物を使うのは、も

っぱら遊びの時間です。暇な時間に、牛車を使ったのです。

 

そのため、和泉式部のように牛車のを走らせながら中でセックスを

するなどという豪の女性も、現れたりするのですね。