平安仏教の2大巨頭として知られるのが空海と最澄ですが、
もう1人並び称されるのが、法相宗の徳一という名僧です。
徳一は人知中心の都市型仏教に埋没するのを嫌い、時々山
に入って大自然の理法を学びました。そうして霊感修行をし、
「自然(じねん)智宗」という教えを実践していったのです。
徳一は仏教の教義を巡って最澄と大論争を展開したことでも
知られており、最澄の『法華秀句』はこの論争から生まれたと
されています。
そのため最澄と徳一はライバルとか天敵などと言われること
が多いのですが、最澄にすればそれだけ熱くなって大論争を
したり、その内容を著書にするくらいだから、一目置いていた
ことは確かです。
また、空海も真言宗の布教に関して徳一に助言を求めました
が、真言宗自体の内容に疑問を投げかけられて断られていま
す。ただそれでも空海の徳一に対する尊敬の念は収まること
なく、徳一とのやりとりを記した書では「徳一菩薩」という書き方
をしています。
その徳一が空海や最澄に比べて知名度ではるかに劣るのは、
自然との関りを深めて都市型を避けていたために教義がやや
難しいこと、そして活動範囲を筑波山からいわきや会津などと
いった、朝廷から離れた場所に移していたために中央で取り上
げられにくかったことが理由だと思われます。