宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な巌流島ですが、この
島自体は現存しております。関門海峡の中間にあります。
ただし現在ある巌流島は、明治34年以降、三菱造船所が九州
地区の拠点にしようとして埋め立てに次ぐ埋め立てを行なって
出来たもので、面積は3倍になりました。
江戸時代までの巌流島は、絶壁ばかりの孤島だったそうです。
そのため周囲は激しい潮流に削られて、船を寄せるのが大変
だったということです。しかもその潮流の問題で、満干時の高低
が3メートルほどもあるのです。
というわけで、江戸時代の巌流島は、とても決闘など出来る場
所ではありませんでした。そのスペースが、保てません。
この決闘の話は吉川英治が『二天記』という江戸時代に武蔵の
知人が聞き書きでまとめた資料を基に書いた小説で一躍有名
になったのですが、その吉川英治自身が「恐らく『二天記』は嘘
だろう」と言っていて、フィクションであることを前提にして書いた
ことを認めています。小説として書いたのだから、そのくらいのこ
とは、あって当然でしょう。
尚、武蔵の好敵手である佐々木小次郎は岩国の錦帯橋の下で
燕を切って「燕返し」を会得したことになっていますが、この当時
はまだ「錦帯橋」は出来ていませんでした。