長らく稲作が日本で始まったのが弥生時代だとされてきまし
たが、これはあくまで水田によるものであり、稲作そのもの
は縄文時代中期にすでに行なわれていたことが判明してい
ます。
要するに、縄文時代の人々も、米を収穫して食べていたとい
うわけです。実際炭化米や籾の圧痕などが、当時の遺跡か
ら見つかっております。
ただ上記のように水田はなかったため、「陸稲」だったと考え
られています。水稲と比べて陸稲は、簡単に栽培できるとい
うことです。
縄文時代には、ムギやアワ、ヒエなどの雑穀を栽培する畑作
がすでに行なわれていたと思われるため、それらと一緒にイ
ネも栽培されていたようです。
そのため、米が特別な食べ物ではなく、雑穀の中の1つと考え
られていたわけですね。どういう食べ方をされていたのか?
縄文時代の食文化の1つとして、お菓子づくりがあります。クッ
キーなどの甘味がつくられていました。米も、甘味料として利用
されていたと思われるのです。
今も「お米パン」というのがあって、甘味がとても美味しいです。
御飯そのものにも、ほんのりとした甘味がありますね。この甘味
を生かして、縄文人はスイーツとして利用していたようです。