後醍醐天皇が定めた「建武」という元号が貴族たちから大不評だった理由 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒に成功し、「建武の新政」を断行

しました。この時の政治の内容が武士たちの不興を買ったの

は知られたところですが、実は貴族たちの間からも大いに不

興を買ったものがありました。それは「建武」という元号です。

 

これは後醍醐天皇が中国の漢王朝を復興した光武帝の元号

をそのまま採用したもので、完全な独断でした。このことがま

ず、不興の原因です。

 

天皇には、確かに元号を決める権限があります。しかし実際

には古代より合議制で様々な手続きをしてから天皇が詔を出

して正式決定するという段取りだったのです。

 

後醍醐天皇はその古来のしきたりを破って、公卿たちにも全く

相談することなく選定したしまいました。

 

そしてもう1つ、不興の大きな原因となったのが、「武」という字

が入ることです。「建武」の「武」が、不興だったのです。それは、

「武士」の「武」だからということもありますが、何より「戦乱を招

く字」ということで縁起が悪いとの声が、殺到したのでした。

 

結局「建武の新政」は、わずか3年で終わることになります。きっ

かけは武士たちの不満で、それを受けての足利尊氏の反乱にあ

りました。戦乱を招くという周囲の懸念は、見事に当たってしまう

のでした。