江戸時代の大名の多くが江戸生まれ江戸育ちだった理由 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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江戸時代、全国の大名たちは「参勤交代制度」によって、江

戸と領地を行き来しなくてはならなくなりました。そのことが

大名たちの経済を圧迫しましたし、労力も要しました。

 

これは大名たちの勢力を奪うと同時に、監視下に置いて謀反

を防ぐ目的がありました。

 

しかし大名たちに不満ばかりを抱かせるようでは、またひずみ

が生じて国政も上手く行きません。従って、江戸をいかに楽し

くて地方から来た大名たちが楽しめる街にするか、幕府も工夫

を凝らしたのです。

 

まずはあちこちに森と花の庭園を造り、地方都市に負けない自

然美を演出しました。江戸が「花の都」と称されたのは、比喩表

現ではなく実際に花が多かったのです。

 

そして娯楽も、充実させました。大名たちが楽しめる遊び場も、

性的なものばかりでなく芝居小屋や見世物小屋、寄席などが充

実して行きます。

 

そうした幕府の努力があまりに実り過ぎ、次第に領地に帰りた

がらない大名が増えました。そしてやがてはトップの大名は「江戸

詰め」となり、別に「藩元」の大名が設置されるような形になったの

です。

 

室町時代と少し似ていますが、幕府の力と政治力が当時とはまる

で違うため、衝突はあっても下克上が起きることはありませんでし

た。そして江戸詰め大名が江戸で後継を生ませ、育てることが多い

ので、江戸中期からは大名の多くが江戸生まれ江戸育ちとなって

いったのでした。