堀秀政と松平忠輝の人望の差を象徴するエピソード | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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戦国武将で最終的に越前国北ノ庄の大名となった堀秀政は、

非常に仁徳があり、慕われていました。武将として数々の武勲

がありながら、情にも厚くて部下の話もよく聞いたのです。

 

そんな堀秀政が或る日泊まった宿で、火事がありました。多くの

人が来て火を消したのですが、その後秀政の所持品は何一つ

なくなっていなかったそうです。

 

一方、徳川家康の六男で松平忠輝という人物が、おりました。彼

は乱暴なところが多く、父の家康からも疎んじられていたそうです。

その乱暴な振る舞いは部下に対しても、多かったようです。

 

堀秀政の件よりも後に、その松平忠輝も、やはり火災に遭いまし

た。そして多くの人が来て火を消したのですが、その際忠輝の大

切な所持品が、全てなくなってしまったそうなのです。

 

世間では、「人柄の差」との見解で一致したそうです。「堀さまは、

人柄が良い。だから来た人たちは、火を消すことだけを考えた。

しかし松平忠輝さまは、乱暴な振る舞いが多くてふだんから人に

憎まれていた。だから来た人は火を消すふりをして、忠輝さまの

財産を全部持ち去ってしまったのだ」というわけです。

 

これも、「情けは人の為ならず」の典型でしょう。優しさは、いずれ

自分に返って来るということです。