江戸城の紅葉山文庫に、『松のさかえ』という文書が収蔵さ
れています。そこに、次のような記述がされているのです。
「秀忠公卿嫡男、竹千代君(家光)、御腹 春日局、三世将
軍家光公也、右大臣同御二男国松君 御腹 御台所 駿河
大納言忠長公也・・」
要するに、「二代将軍秀忠公の長男は竹千代君である。竹
千代君は三代将軍家光公だが、それを産んだお方は春日
局である・・」という内容です。
家光が春日局の実子であるということは、彼女の実家にあ
る『稲葉系図御家系典』にも書かれています。
「お福(春日局)は、将軍の御胤を宿し、九年七月十七日竹
千代君(家光)が誕生した。父の利三が明智光秀の家臣で
あったことからお福が謀反人の娘であることをはばかって、
正室の子として披露された・・」
というわけですが、ここにある「将軍」とは秀忠でなく徳川家
康のことなのです。つまり春日局は徳川家康と愛人関係に
あったということです。家康は明智光秀の家臣の娘と、デキ
ていたわけです。それ自体が、「明智光秀=天海説」につな
がりそうですが、それはここでは置いときまして、2人の間に
できた子が家光なわけです。
それを隠すため、かなり回りくどい情報操作をしました。春日
局は実子である竹千代の乳母ということで将軍家に入り込み
ます。さらにそれが「コネ」ではなく町中の「将軍家乳母募集」
の立て看板を見て応募し、採用されたことになっていたのでし
た。