結構短気でバイオレンスだった平安貴族 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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平安貴族というと優美で大人しくてナヨ系を思い浮かべてし

まいますが、決してそういうわけでもなかったようです。

 

昨日紹介しました「関白筆頭候補」の藤原伊周であの調子

なわけですから、粗暴な高級貴族は結構いました。

 

1024(万寿元)年、後一条天皇以下が相撲を観戦していた

際、権右中弁の藤原経輔と蔵人式部丞の源成任が天皇の

前で髷をつかみ合うほどの大乱闘をしてしまったそうです。

 

2人とも高級貴族。特に藤原経輔は殿上人と称される部類の

地位でした。そういう人間が殴り合いをするだけでも驚きなの

ですが、これだけで収まりませんでした。

 

というより気が収まらなかったのは藤原経輔の方で、数日後

に経輔は成任を一方的に殴り倒しました。さらに仲間たちも

それに加勢して集団リンチに近い状態だったというから、とん

でもない話です。

 

その12年後の1036(長元7)年正月には経輔自身も、藤原

俊家の従者に殴打されています。貴族たちは、普段武士以上

にバイオレンスだったというか、無秩序な行動だったのかもし

れません。