古代に西の人が「鶏が鳴くあづまの国」と評した東国の言葉とは? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

この「鶏が鳴くあづまの国」という表現は、万葉集にあるも

ので、京を中心とした西国の人には東国の人の言葉がそ

のように聞こえたということです。

 

実際に古代から、東日本と西日本では言葉の差異がかな

りあったということです。

 

『拾遺集』という平安中期の歌集には

「あづまにて養われたる人の子は舌だみてこそ物は言ひけ

れ」

という歌が掲載されています。「舌たむ」とは、発音がなまっ

ているということでした。

 

そんな傾向は室町時代にも続いていたようで、宣教師・ロド

リゲスは「三河から東(あづま)の地方では一般に物言ひが

荒く鋭くて多くの音節を、呑み込んで、発音しない・・」という

ように書いています。

 

では具体的にどういうことかというと、

西日本 シェカイ ナロウテ 借った 白う

東日本 セカイ  ナラッテ 借りた 白く

といった具合です。セカイとシェカイは「世界」のことで、ナラ

ッテとナロウテは「習って」のことです。

 

この辺は、現代と変わらないですね。要するに促音、すなわち

「っ」「ッ」が、元々東日本特有で西日本では少なかったのかも

しれません。となると「借った」はどうなのかということになりま

すが、これも促音をあまり歯切れよく発音しなかったと思われ、

東日本の「り」の発音の方がきつい響きに感じていたのかもし

れません。

 

私は東京の多摩地区で育っているので、東日本の人間です。

なのでこの記述だけを見ると東国言葉は荒っぽいというよりも

「単に歯切れが良いだけ」に思えますが、当時に西国人にはそ

う聞けなかったのかもしれませんね。確かに今の「京都弁」より

は粗野かもしれませんが。

 

またロドリゲスによると、西日本では「読もう」というのを東日本

では「読むべい」と言ったとか、西日本で「都へ上る」を東日本

では「都さ上る」と言ったということです。

 

こうなると、現代では西国言葉の方が完全に標準語で東国言葉

は方言ですね。ただ、「べい」や「さ」という音が入るのは、主に東

北や北関東がイメージされますが、東京都でも私が育った多摩

地区、特に八王子や立川くらいまではよく使われました。

 

これらは江戸時代に入り、「江戸言葉」というのが考案及び整備

されてから変わっていったようです。江戸は全国各地からの寄せ

集めですので、西国の人にも違和感のない発音の言葉が江戸で

定着し、やがては標準語化されていったようです。

 

ただし、今の多摩地区の多くである「武蔵国」であったり「八王子の

宿場」は江戸よりはるか昔から発達を遂げていましたので、江戸

言葉に感化されず東国言葉の一部はそのまま続いたものと思えま

す。