武田信玄が尊敬し、傾倒して止まなかった禅僧で、快川紹喜
という高僧がおりました。
快川は美濃の守護・土岐氏の血筋でして、当然武士の出です
が京都妙心寺で修行をして高僧となり、美濃の崇福寺の住職
となりました。
その後、甲斐の国分寺に移った際に武田信玄の目に留まりま
す。信玄は快川に帰依し、甲斐の臨済宗の中心である恵林寺
に招いて住職にします。そして同寺を武田家の菩提寺としまし
た。
ただ武田信玄も、若い時はかなりのやんちゃでいたずら心が旺
盛です。或る時禅を組んでいる快川を驚かせてやろうと、眼前に
刀をいきなり振り下ろしました。
しかし快川は微動だにせず、静かにひとこと言ったそうです。
「香炉上一点の雪」
武田信玄は快川のその悠然とした姿に恐れ入り、言葉の意味を
訊ねます。それに対し快川は、
「人の命は、香炉の上に落ちたひとひらの雪のようにはかないも
のである。しかし、心には形もなければ生死もない。心を鍛えるこ
とである。不動心、平常心を得れば恐れるものは何もない」
勿論武田信玄はそれに感銘し、ますます快川を師と仰ぎます。そ
してこの高僧の言ったこと、いかにも宗教の世界らしく感じますが、
科学的でもあるのです。
「心」は、言い換えれば「気」です。「気」は「オーラ」となって空気中
を漂います。その「オーラ」は、素粒子を正体とすることが、科学的
に判明しています。つまり「心」は素粒子となって空気中、もっと言
えば宇宙を漂い続けるのです。
心に形も生死もなく存在は永遠に続く。それは宗教だけでなく科学
的にも証明されつつあるわけで、快川和尚の言うことは現実的でも
あるのかもしれません。