江戸と金沢の奇妙な共通点を生んだ経緯 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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東京は道が複雑で、そのため渋滞も招きやすいです。この原


因をつくったのは、徳川家康です。



徳川家康はそれまでの戦国時代が2度と繰り返されないように、


道をわざと複雑にしました。理由は、江戸城を攻めにくくするた


めです。



この時の道路工事がハイレベルだったため、家康が実行した複


雑な道路状況が今だに崩されることなく続いているのです。



これと似た状況にあるのが、金沢です。石川県金沢市も、迷路の


ような街並みで知られます。直線の道路がほとんどなく、すぐに曲


がり角になるなど、東京以上に道路がわかりにくいようです。



実はこの理由も、東京、そして江戸と同じなのです。攻めにくくする


ためでした。



石川県、旧加賀藩の藩主は名門の前田家です。前田家は元々徳


川家と最後は対決することになった豊臣家と関係が深かったので、


徳川家からにらまれるはめになりました。



そこで城を攻めにくくするため、一直線に城やその周辺にたどり着


けないように、都市計画を実施したのでした。当然、道は複雑にな


ります。



他国から攻めにくくするために江戸の道路事情を複雑にした徳川家、


その徳川家からの攻めを警戒して加賀藩の道路事情を複雑にした


前田家、両家がそれぞれの事情で断行した政策が、現代社会にも


大きく影響しているのですね。