天草四郎生存説論争を白熱させた母親の名演技? | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

ブログの説明を入力します。

島原の乱、最近ではこれが必ずしも宗教絡みだけでないこと

が判明して、「島原一揆」と呼称が変わっているそうですが、

とにかくこの大がかりな事件の中心人物が、天草四郎時貞で

す。

 

この天草四郎時貞にも、生存説、即ち逃亡説があることは、

以前にも書きました。

 

その時には、幕府側が天草四郎時貞の顔を誰も知らなかった

ことを、原因に挙げました。そのため、死者の中で最も立派な

いでたちをした人間を時貞と判定したことも、紹介しました。

 

ただ勿論、それだけで天草四郎時貞と断定しただけでは、あり

ません。あくまでそれは、重要参考資料です。

 

決め手になったのは、四郎の母親による首実検でした。いくつ

も並んだ首級を見せ、どれが息子のものか、選ばせたというこ

とです。

 

そして母親は、熊本藩主・細川忠利の家臣が討ち取った首級

を胸に抱いて泣き叫んだため、その首級を四郎のものと判断

したそうです。

 

これは、論争のタネとなって当然だと、私も思います。幕府は

顔を知らず、母親の態度のみが判断材料。そのことは、母親

自身も知っていた。

 

ならば、演技をすることは、充分考えられますね。母親なら、

そのくらいの演技はできるのではないでしょうか?

 

息子は密かに逃亡している。そして、他人の首を抱いて泣き

崩れれば、それが息子と判断されて捜査は終わり、本物の

息子は逃げ延びることができる。となれば、親ならそのくらい

の演技は、出来ると思います。

 

まして彼女は、並みの母親ではありません。天草四郎時貞と

いう天才を生み育てた母親です。それなりのしたたかさは、

あったでしょう。

 

母親の号泣が演技だった可能性は、充分にあると思います。