2010年に当時の石原慎太郎都知事が強引に「豊洲移転を
進める」と断言した後の2011年、東京都議会でその移転が、
可決されました。
しかもその票数は、63対62。民主党議員の何人かが寝返っ
たための可決でした。それでもこの差。本来ならもっとこの問
題、尾を引くはずでした。
しかしこの日は、あの3月11日。可決のわずか26分後に、東
日本大震災が、起きてしまったのでした。
当然のように世間の関心と話題はそちらに向けられ、豊洲移転
の話題は一時的に忘れ去られてしまいました。それに紛れてと
いいますか、その隙に、話はどんどん進められ、今につながっ
たようです。
しかも民主党政権は、震災の対応に失敗して逆風が強まり、気
がついた頃には豊洲移転と戦う元気も勇気もなくなっていたよう
です。
2011年東日本大震災のどさくさに紛れてどんどん進められたこ
の豊洲移転計画。いわば世間の不幸の影で「バレないうちに」と
こそこそ拙速に進められたような計画にも思えます。不透明にな
るのは、当然でしょう。
可決してから1ヵ月が経たないうちに東京都知事選が行われ、石
原慎太郎氏が再選を果たしています。大震災さえなければこの時、
豊洲移転は大きな争点となり続け、闇もあぶり出されたかもしれま
せん。ところがこの時は、街頭演説すら震災の影響で控えさせられ
たくらいです。盛り上がりのまるでない、都知事選でした。
つくづく恨めしい東日本大震災ですが、ただその際福島での汚染
題は、散々取り沙汰されてきましたね。物質の違いはあれど豊洲
も他人事ではないはずでした。思い出すべき。話題にされるべき
でしたね。
東京は東日本大震災で亡くなった人もいたので、直接の被災地で
も、ありました。こうしてみると、別な意味の被災地ですね。まあ、
こちらは防げる災難ではありましたが、どさくさに紛れてとんでもな
い闇の作業を進めた人たちの罪は、重いでしょう。