今週月曜日発売の「週刊ポスト」の巻頭、「日本史上最強の
性豪は誰だ!」の記事の監修を、させて頂きました。その中
の12位に挙げました雄略天皇について、書きたいと思いま
す。
江戸時代まで、特に古代から平安時代までの最高権力者だ
った時代に遡っても、天皇の役割や性質は今とは全然違い
ます。政治の中心を担っていましたし、辞任は簡単にできま
した。それどころか、クビになった天皇も、少なくありません。
「壬申の乱」のように、天皇の座を巡る戦も、ありました。
そんな中、雄略天皇という人は、異色です。万葉集に歌を載
せていますし、古事記にもエピソードはふんだんに登場しま
すが、そのほとんどが「求婚」の話です。
天皇は一夫多妻制なので何人に求婚しても構わないのです
が、それにしても程度問題がありますね。
しかも、丘で花を摘む乙女に声をかけるエピソードも、残って
います。つまり、「ナンパ」です。天皇が丘でナンパ。凄いです。
またしばしば、ナンパを失敗しています。求婚を、断られてい
ます。最高権力者が庶民に結婚を申し込んだりナンパをして、
断られる。かなり自由な世の中でもあったと、思われます。
そして性豪の話ですが、童女君(おなぎみ)という采女が女の
子を産み、その子が雄略天皇にそっくりに育ちました。しかし
天皇は、自分の子かどうかわからないと言って、認知を渋りま
した。
大臣が、童女君と夜を共にした時何回おやりになったかと問わ
れ、「7回」と答え、「ならば認めなさい」と説得されて認知をした
というエピソードがあります。
性豪であると同時に、あまりに庶民的?過ぎる人だったかもし
れません。というか、俗人っぽさが笑えて、憎めない気もします。