江戸時代に簡易裁判所として機能していた名主屋敷。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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時代劇などで、「名主」という身分の人が、よく登場します。

実際に江戸時代、名主は存在していまして、領主のもとで

村を仕切っていた、いわば村長のことです。


村長ですから、政治も行ないます。更には、裁判も、担当

していたそうです。


江戸には北町と南町の奉行所がありましたが、与力や同

心ら役人の数が240人程度で、隅々まで取り締まることは

不可能でした。


従って、ある程度は町の自治組織に頼るしかなく、その取

締役を担当したのが、名主なのでした。


トラブルや小さな事件が起きた時は、名主の屋敷の玄関が、

簡易裁判所になります。そうして名主は両者の話を聞き、

仲裁をしたり、時には町年寄に差し出すことも、ありました。


現在もその名残りが見られるのが、東京・駒込にある、「駒

込名主屋敷」です。「大坂夏の陣」で豊臣方として戦い、残党

としてこの地に落ち延びた高木将監という人物が、最初に

屋敷を建て、名主となりました。


一度は焼失しますが、1717(享保2)年に再建され、現在に

いたっています。特徴としては、玄関に式台があることです。

これを利用して、簡易裁判を行なうのでした。


いきなり奉行所の白州で裁きを受けるよりも、名主の玄関で

話を聞いてもらう方が、気が楽。ということで、「名主の玄関

裁き」はしばしば行なわれ、名主は頼られる存在でした。