寺小屋の誕生はかなり古いですが、ここでは江戸時代を例に
取ろうと思います。
寺小屋の授業時間というのはどこも大筋変わることがなく、朝
の8時に授業が開始され、午後の2時から3時の間まで続けら
れます。なので、今の学校と、ほぼ変わりませんね。
ただ、休日が毎月1日、15日、25日と、月3日だけでした。しか
も、夏休みが、ありません。6月1日から2ヶ月間、午前中のみの
授業になるのが、夏休みの代わりでしょうか。
他に、盆と正月、節句が休みになりましたが、年間通して休日は
50日からせいぜい60日余りでしょう。今の小学校は年間150日
ほど休むので、寺小屋の休みは半分以下ということになります。
授業料は安く、今のお金に換算して、月に2000円ほどでした。
これで、みっちり、勉強ができたのです。
前にも書きましたが、日本には明治時代に入るまで、義務教育は
勿論、文部省に相当するものが存在しません。つまり、国が一部
を除く国民に対して勉強をするように促したことが全くないのです。
それでいて、ペリーの黒船がやってきて開国がされた後、日本人
の識字率と計算率は80パーセントで世界ダントツだったことが、
判明しています。2位がイギリスの40パーセントなので、驚異的
でした。
寺小屋の授業の数、休日の少なさに、殊更注目する必要はない
と思います。そのことに不満の声がまるでなかったこと、お上に何
も言われなくてもそれだけ勉強していたこと、つまり、日本人は勉強
を楽しんでいたという事実を、もっと大事にすべきでしょう。遊びと
勉強の区別を無駄につけ過ぎるのは、良くないですね。
尚、寺小屋の教師は、武士や僧侶、浪人が多いですが、女性教師
も今とさほど変わらない確率でいたそうです。また、吉原の遊郭で
は、遊女たちに更なる高等教育をしていたというのが、ユニークな
ところです。