下戸だった井原西鶴が飲兵衛の描写を得意とした理由。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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江戸時代を代表するといいますか、ほぼカリスマ的ともいえ

る戯作家の井原西鶴。『好色一代男』の他、『好色一代女』、

『好色五人女』、『日本永代蔵』、『世間胸算用』など、代表作

を挙げるとキリがありません。


その井原西鶴の作品中には、酒で盛り上がるシーンが多々

出て来ます。まあ、謹厳実直な人間はほとんど出て来ないで

愉快な登場人物たちが活躍するのが魅力でもありますので、

自然とそうなるでしょう。


ただ、西鶴13回忌の時に弟子たちが編纂した追善冊子の中

に、「(西鶴は)下戸なれば飲酒の苦をのがれて、美食を貯え

て人に食わせて楽しむ」という記述があります。井原西鶴は、

下戸だったのです。


自身のエッセイにも、「南都諸白一樽、はるばるおくられけれ

ど、我下戸なればさのみ嬉しからず」という記述が出て来ます。

南都諸白というのは、奈良産の極上清酒でして、それを送られ

たけれど下戸なので嬉しくないという意味のことを、書いている

のです。


酒が全く飲めない彼が、「酒飲み」を描くのが上手だったのか?

実は、現代の芸能界において、母親役に定評のある女優には

子供のいない人が多いという傾向があったのと、似ていると思

えます。父親役にも、同じ傾向はあると思います。


子供がいる人は、自分の経験に当てはめて考え、客観性に欠

けてしまう場合が出て来る。その点、子供がいない人は、色んな

ケースを広く観察するため、客観的に冷静に、しかも広い視野

で親役の役作りができる。そんなことを言っていた女優さんがい

ました。それには私も、納得できるものがありました。西鶴の酒飲

み描写も、似たところがあるようです。


井原西鶴は、酒席で、自分が酒を飲めない代わりに他人の飲む

姿をつぶさに、緻密に観察していたようです。自分が酔うことなく、

ひたすら酔った人間を観察していたのです。だから、酒飲みのこ

とを冷静かつ客観的に描くことができたのでしょう。