多くの過ちを犯した戦前の日本政府ですが原節子さんのたくましさ大絶賛したのは殊勲甲です! | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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昭和14年、『東京の女性』という映画が、東宝から公開され

ました。主演は、今朝マスコミで訃報が報じられました原節子

さんです。


家庭の事情でお金を稼がなければならなくなったヒロインが

営業ウーマンとしてトップの成績を上げ、当時の言葉で言う

「職業婦人」、それより後の言葉で言う「キャリアガール」とし

て大活躍します。しかしその後、仕事か恋愛かで葛藤すると

いうストーリー。


今となってはかなり古臭いストーリー、しかしふた昔前、昭和

40年代から50年代にかけては定番のようによく扱われてい

たようなストーリーです。これが戦前の昭和14年公開となる

と、斬新な内容だったのかもしれません。


そのヒロインとなる「職業婦人」の役を、原節子さんはネクタイ

とスーツ姿で颯爽と演じています。勝ち気で激しい気性のシー

ンも、多々あります。


男尊女卑の戦前ですので、女子教育といえば、ひたすらおしと

やかで従順で繊細で仕事は男に任せなさいだったイメージが、

あります。なのでこの映画のヒロインのような女性は、異端だっ

たと思われがちです。私も以前は、そう思っていました。


しかし、戦前政府はこの映画公開の後、原節子さんを大絶賛し

ているのです。「日本女性よ、原節子を見習え!」との呼びかけ

まで、出しています。


また、原節子さんは、165センチの身長。この頃の男性の平均

身長を上回る長身でした。体型も筋肉質で骨格もしっかりしてい

て、たくましかったようです。顔も、美しいですが、従来のこじんま

りと控えめな日本風ではなく、エキゾチックでダイナミック。りりし

くて、いかにも『東京の女性』のヒロインが似合いそうなルックスで

した。更には、アクションものまで出来そうな雰囲気でもありました。


当時の日本政府は、原節子さんのそんなところも、また賛美して

いるのでした。そして、「日本女性よ、ひ弱が良しとされる時代は

終わった。これからの女性は強く明るく颯爽と前向きに生きなくて

はいけない!」と高らかに宣言し、更にはダイエットをやめるよう

にとまで、呼びかけたのでした。


意外な話です。そして、これに関しては、戦前政府のまさしく言う

通りでして、まさに大殊勲です。


勿論原節子さんの人気がその後どんどん上がり、戦後しばらくも

活躍されて引退後も偶像化されたのは、戦前政府の後押しがあ

ったからではないと思います。いや、追い風になった部分はある

かもしれませんが、それがなくても大スターにはなったでしょう。


しかし、原節子さんの、誰もが言う美しさではなくてたくましさがあ

の古い時代に絶賛されていたというのは貴重ですし、それと同じ

価値観を持つ人が増えて行っての人気だとすれば、それは明るい

話です。日本に多大な好影響を残された原節子さんの御冥福を

祈ります。