成人した後、傾いていた生家を復興させたのをきっかけに、
二宮金次郎は今でいう経営コンサルタントのようなことをして
いました。
1818(文政元)年、金次郎は小田原藩の家老である服部家
の立て直しを依頼されて引き受けます。
当初は徹底した倹約を指示したり米相場に手を出すといった
既成のやり方をしていましたが、成果は上がりません。
そこで新しく考え付いたのが、低金利融資制度です。藩と交渉
を重ね、15年年賦で返済するという条件で1000両の資金を
融資してもらうことに成功しました。
このうち300両を下級藩士の救済に、240両を中級藩士救済
に充てました。この際用いたのは「五常講」と呼ばれる方式でし
て、仁・義・礼・智・信の5つの徳による信頼と実行の基に結び
ついた人々が互いに連帯保証人となって助け合うというもので
す。
更に、365両で服部家の借金の借り替えをし、残りの95両は
小田原商人に貸し付けて利殖をはかり、これによって藩の財政
を立て直しました。
こうした低金利融資制度は、1820(文政3)年に発足しました。
これが実質、世界初の「信用組合」といえるでしょう。一般に世界
初の信用組合はこれより42年後のライファイゼンのものとされて
いますが、これは二宮金次郎が開設した当時に日本が世界的
な国交がなかったために見逃されてきたことによります。
今NHK朝ドラで日本に銀行ができた当時のことをやっていますが、
信用組合はこれに先駆けた江戸時代に、二宮金次郎の手で発足
していたのでした。