八王子の千人同心がルーツだった新撰組。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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私が高校時代の途中からしばらく過ごした東京日野市の高幡

不動は、新撰組副長・土方歳三の生家と墓が近く、今でも「土

方姓」の人が数多く住んでいます。


また、新撰組局長の近藤勇は、上石村、現在の調布市の出身

でした。


新撰組の有力メンバーは彼らを代表にほぼ、現在の東京の多

摩地区から出ています。これには、大きな理由がありました。


徳川家康は江戸に入るとすぐ、すでに滅んでいた甲州武田家の

家臣250名を、八王子に移しました。そして彼らに農地を与え、

甲州口の警備に当たらせたのです。


家康は、武士でありながら農業も行なう彼らを、「八王子千人同

心」と呼びました。日頃は鍬を握っていましたが、同時に剣道や

学問にも勤しみます。剣道は、豪農の家の敷地内に道場が置か

れておりまして、「天然理心流」という流派の鍛錬に励んだそうで

す。


そして近藤勇や土方歳三ら新撰組の主要メンバーは、この千人

同心の子孫だったのです。


新撰組が東京の多摩地区に当たる場所から誕生し、徳川幕府

のために体を張ったのは、ごく自然な成り行きだったと言えるで

しょう。