武士道を説いた『葉隠』の間違った解釈のされ方。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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現在の佐賀県に当たる肥前藩の山本常朝が記した武士の指南書

『葉隠』は、今でも一部の人たちに崇拝されています。武士ってこん

なに格好良いのかっていう印象で捉える人が、多いです。


しかし一部、誤解されて伝わっています。たとえば、有名な一節に、

「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉があります。


これを、「死ぬことが美しい」とか、「武士の究極の目的は死に方の

美学にある」などと考える人が、います。また、戦争中などは、「お国

のために命を投げ出すのが武士道」という風に、この言葉が利用さ

れていました。


しかし、『葉隠』には、「只今の当念より外はこれなきなり」「人の命は

知れぬ物にて候」などの言葉も、添えられています。


つまり、「武士たるものはいつ死を迎えるかわからないから、その日

その日を最高に生きよ」と言うのが、「武士道とは死ぬことと見つけた

り」の意味なのでした。


死ぬのが美しいのでなく、「死があるから美しく生きよ」なので、生きる

ことの大切さを説いているのです。その「美しく」も、肩肘張るのでなく

思い残すことなくという意味です。


『葉隠』には、「五十ばかりよりそろそろ仕上げたるがよきなり」という

一節もあります。これも、年功序列で年長者には逆らうな、みたいな

風に捉えられていた時期もあります。


これも、全然違います。若くして出世するのも結構だが、長続きしない。

50歳くらいでそろそろ仕上げにかかると良い。という意味。大器晩成

に似てもいますが、一番の意味は、「焦らずコツコツ時間をかけて自分

を磨きなさい」ということを言っています。


武士道とは、意外と現代にも通じるものだと思って良いでしょう。それ

も、堅苦しいのでなく、自然体を説いています。まあ、それも却って難し

くはありますが、気持ちは入りやすいと思います。