昨夜は、酔っ払った状態で、記事を更新しておりますね。は
っきり申しまして、文章になっておりません。失礼しました。
気を取り直して、今日はちゃんと書こうと思います。えー、いつ
もの朝と同じく、歴史ブログであります。
京都西南の領主、遍照心院は、次のような訴えを、幕府に出
しました。
「農民たちが水田に米を作らず、代わりに藍や果物を作って
いる。そのくせ米は不作だと言って、年貢を未納している。な
んとかして欲しい」
幕府も、それはいけないとして、農民たちに厳重な申し渡しを
しました。しかし、守られないどころか、むしろこの傾向は地方
都市にも広がりました。
理由は、節税対策です。上にあるように、米を作っても年貢と
して納めなくてはならないので、金にならないのです。それよ
りも、果物や藍を作った方が、売れます。ですから、得だった
のです。
やがて各地で果物の品質を競うようになり、室町時代は各地
で特産物が沢山生まれました。代表的な物としては、大和地方
の御所柿、信濃の梨、瀬戸内のミカン、丹波(京都)の栗といっ
た具合です。
これらは、贈答品として、非常に貴重な物となりました。