ヘレン・ケラーが尊敬し目標とした江戸時代の日本の学者。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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自ら重度の障害を負いながら各国の障害者教育や平和活動に

貢献した、ヘレン・ケラーの話は、ほとんどの人が知っているで

しょう。


そのヘレン・ケラーが、目標とした人物が、おりました。彼女は1

937年4月26日、来日した際の講演で、次のように語っており

ました。


「私が幼い時ですが、母は私に『塙保己一先生はあなたの人生

の目標になる方ですよ』とよく話してくれたものです。日本には幼

くして目が見えなくなってしまったのに、努力して学者になった塙

先生という方がいたと教えられました。それを聞いて、私は励ま

されて、一生懸命勉強しました」


その塙保己一は、江戸時代中期ともいえる1746年、現在の埼玉

県で生まれました。そしてヘレン・ケラーの言うように、7歳にして

病気により視力を失うのです。


しかし10歳で、学問を志します。12歳で母が死去しますが、その

悲しみも乗り越え、15歳で反対する父親を説得し、江戸に出ました。


ですが当時は、盲人に学問は無理と考えられていたため、塙保己

一も当初は検校の雨富須賀一が率いる盲人の職業団体に入門し、

あんまや針、音曲を習いますが身につかず、自殺も考えます。


それでも何とか思いとどまり、意を決して師匠の雨富須賀一に、学

問への思いを告げたのでした。師匠はその強い思いに心を動かさ

れ、様々な学問を学ばせたのです。


国学や和歌は萩原宗固、更には賀茂真淵、漢学・神道を川島貴林

などといった一流の文人を紹介し、師事させています。目が見えな

いため自ら読むことができないので、書物を読んでもらい、記憶して

いくのです。


やがて1779年、34歳の時に古書の散逸を危惧し、収集・編纂して

版本として残すことを決意しました。以後41年懸命に取り組み、74

歳の時に666冊に渡る一大叢書『群書類従』が完成しました。


また、後継者育成のために「和学講談所」を開設し、多数の弟子を

育てています。平田篤胤や頼山陽も、この盲目の大学者・塙保己一

の弟子です。


ヘレン・ケラーの話は誰もが知っているのに、この塙保己一の名は、

あまり聞かれません。また、先日書きました、沈没したロシアの大型

船ディアナ号の564人の乗組員全員を伊豆の漁師が救出した話、

更にはペリーが日本を説得して開国させることに成功した後、世界

中から英雄扱いされた話など、教科書に出てこないばかりか、ほと

んど巷にも伝わっていません。


憲法で愛国心を強要なんかするのでなく、こうした話を学校でも教え、

人々に知らしめることの方が、先決でしょう。そうすれば、愛国心など

自然に芽生えます。明治政府が、自分たちの非をオブラートに包む

ため、江戸までの日本社会を殊更悪く伝えようとした弊害が、今でも

まだ残っているのですね。