川上哲治さんと、吉原正喜さん。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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元読売ジャイアンツ監督で、同チームをV9に導いたことで有名な

川上哲治さんが、亡くなりました。93歳ということですから、大往生

です。


私は子供の頃から中日ドラゴンズファンなので、小学生の時から

憎くて仕方がないオッサンとして見ていましたが、ただその川上さん

の少年時代の伝記漫画「弾丸児」は、とても楽しみにし、感動しなが

ら読んでいました。


野球少年だった私にとって、ジャイアンツの監督としての川上さんは

嫌いでも、それを離れれば尊敬して止まないし、伝記はすごく興味

深かったのです。


「弾丸児」のクライマックスは、氏の熊本工業時代の話でした。そして

そこで必ず登場し、主人公の川上さんを食うほど魅力的脇役として

君臨するのが、捕手の吉原正喜さんです。川上さんは熊工ではエース

投手だったので、バッテリーを組む間柄というわけです。


豪快で明るい性格。プロ野球創立と同時に川上さんと同時に読売に

入団。すぐにレギュラーとして、活躍しています。


しかし、おぞましい戦争の犠牲となって、戦地で散っています。25歳

の若さでした。後に私は、この吉原さんの伝記漫画も、読みました。


強肩捕手としてプロでもスタープレイヤーだった吉原さんは、陸軍で

手りゅう弾部隊のリーダーをしていたそうです。最後死を覚悟した吉原

さんは、残る力を振り絞って弾を投げて相手を撃沈させ、


「俺は日本一の捕手、吉原正喜だ。思い知ったか!」


そう高笑いしながら叫び、散っていったとされています。この漫画を読ん

だ、当時小学生の私は、号泣しました。


有り余る実力を持ちながら戦争という馬鹿げた行為の犠牲となって早死

にを余儀なくされた吉原さんの存在は、当然のように川上さんの心の中

でずっと生き続けたようでして、「今私があるのは吉原のおかげ」と言って

はばからず、墓参りも欠かさなかったそうです。


川上さんにすれば、そんな親友の分も、という思いはどこかでパワーに

なっていたと思いますし、吉原さんも、あの世から川上さんを支えていた

かもしれない93年の人生だと思います。


もうすぐお二人は、天国で再会されるでしょう。そして、長いブランクを

経ての、キャッチボールが行なわれるかもしれませんね。