昨日、鎌倉時代に後鳥羽上皇が起こした「承久の乱」について、書き
ました。上皇は、朝廷において、天皇と変わらぬくらいの権限を持って
おりました。そして、この時代すでに武士に実権を握られていましたが、
それでも幕府に圧力を加えたりする力が、皇室にはあったのです。
また、室町に入っても、3代将軍で足利政権全盛時をつくった足利義満
が最終的には将軍でなく天皇になろうとしたように、権威や力は消えて
いませんでした。
しかし江戸時代に入ると、実権ではなく、権限の全てが武士に移行し、
天皇はそれこそお飾りに近くなってしまいます。
それでは、この時代の天皇の仕事は、どんなものだったのでしょうか。
まず欠かせないのが、元号(年号)の決定でした。朝廷内の政務担当
公家である参議たちが相談し、候補を絞り、最終的に天皇が決めると
いう手続きを取りました。これに関しては、幕府が一切口出ししません。
ただし、元号なんて、毎年変わるものではありません。今よりはるかに
頻繁だったとはいえ、5~15年に1度の割合です。ならば、他の時は、
何をしていたか。基本的に、暇だったようです。象徴だったというと今と
同じになりますが、外遊や内遊といった訪問行事はないので、仕事そ
のものはほとんどありません。
ただ、征夷大将軍をはじめ、内匠頭、武蔵守などといった職名は、天皇
が任官したことになっていました。実際は、ただ報告しただけなのですが、
形式上は天皇の承認を得たということになります。
また、将軍家の他、有力大名たちは、競って朝廷から正妻を迎えようとし
ていました。
天皇家というのは、その前の「大王(おおきみ)」と言われた時代から、神話
と結びついています。つまり、「神に近い存在」であることが、認識されてい
たのです。
幕府や大名家たちは、それに対し、敬意も勿論あったでしょうが、同時に
「利用価値」のある存在でもありました。つまり、幕府の権限が、何の後ろ
立てもなければ、単に力で勝ち取っただけのものという見方をされてしま
がちです。しかし、天皇が認めたとなると、それだけ「神格化」され、一段
と箔がつくのです。
庶民もその辺は見抜いていたのではありますが、それでも効果は違って
いたのです。従って、そこに利用されていた天皇は、「象徴の中の象徴」で
して、存在そのものが、大きな仕事だったと考えて良いと思われます。実質
的には。