「手当て」という言葉は、今でも頻繁に使われますね。ただ、現在では、
応急処置のような意味で使われます。しかし古代、というより平安時代
くらいまでは、これが最終的な治療法になることが多かったのです。
本来「手当て」というのは、「手の平療法」のことでした。手の平からは、
体内にこもった静電気、更には、湿気と熱も発散します。
この湿気と熱が、軽い温湿布の役目を果たしので、患部に当てると血行
を良くする働きがあります。また、静電気が経絡を刺激するため、血液の
循環は更に促されます。
原始的な療法ではありますが、人間が本来持っている機能でして、決して
バカにできないものです。今でも、「気功治療」というのが根強く効果を発揮
し、人気を保っていますが、これなど「手の平療法」、いわば「手当て」の代
表的な例です。
ただ、古代から平安時代の途中くらいまでは、他の医学が発達しておらず、
手当てが最終治療になることも多かったため、その技術、力が逆に今の
時代には考えられないほど発達していた人、熟練された達人が、数多くい
たものと思われるのです。
卑弥呼も優れた気功術を使いこなしていたことは確実と思われますし、巫女
と呼ばれる女性たちはこの手当てから発展した気功の技は持っていたよう
です。
また、手の平の持つ特性を最大限に生かし、力に変えるには、精神を集中し、
高い次元のイメージ力を発揮しなくてはいけません。そこから、祈祷術、呪術
のようなものも生まれたと思われます。日本の歴史の中で、呪術の類の話が
数多く出てくるのは、そのためだと思われます。
今のように物が揃って便利な時代になると、人間が持つ原始的な機能は退化
します。従って、古代の手当てや呪術の達人たちの話がピンと来ないかもしれ
ませんが、決してバカにできないと思います。