江戸の隠れ人気本、別名「夜鷹名鑑」。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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幕末の弘化年間(1844~47)に、『夜鷹細見記』という本が出て秘か

な人気を得ていました。これは、タイトルにいたしましたように、実質「夜

鷹名鑑」です。


秘かな人気ということなのですが、当然でして、「夜鷹」は違法中の違法。

一応、吉原以外での遊女的活動は禁止されていましたが、その辺はかな

りゆるいものがありまして、実際には見て見ぬふりをされていました。


しかし夜鷹となると、夜に町の片隅に現れ、私的に客を取って売春をする

女性のことなので、岡場所に所属するよりはるかに「けしからん」とされる

違法行為だったのです。


しかしそういう人たちが、公然と本になって紹介されているのですから、お

上がいかに寛大だったかを物語る資料ですね。


この『夜鷹細見記』には、活動する夜鷹の名前、年齢、現れる場所が書か

れておりました。浅草門内9人、永代橋4人、東両国5人など、総勢49人が

紹介されています。


この数、意外と少ないと思われる方も多いのではないでしょうか?これは

一つに、幕末になると、夜鷹と言われた女性たちも、屋内で商売をするこ

とが多くなっていたからです。そうした街娼のような女性たちに、小さな部屋

を提供する奇特な人たちが、いたのです。


それ自体も違法でしたが、女たちを取り仕切って管理し、利益をピンハネす

るというのであればすぐにお縄になったでしょうが、場所を提供してわずか

な家賃を取るだけでしたら、大目に見ていたというのが実態でした。


また、一時的なアルバイト感覚でこっそりこうした行為をする女性も結構いて、

それなりにふところ銭が入ればサッと消えていくといったケースも多かったた

め、本に紹介するほどにプロフィールを把握できない者が圧倒的だったという

のも実情のようです。


そんな中、伝統的な夜鷹の手法でその場所に根付いて商売をしている女性

が49人。少ないとは言い切れないかもしれません。


尚、こうした違法中の違法行為を続ける夜鷹にも、勿論人権がありました。

行為の上でのトラブルから過激な暴行を受けたり、ましてや命を落とすなどの

事件に発展したなどという場合、捜査の対象になります。当時、殺人事件が

江戸全体で年数件という時代なので、検挙率はほぼ100パーセントです。


しかしそうした事件がほぼ起きていないというのは結構驚きでして、夜鷹の

客たちも良心的。紳士で、夜鷹自身も、愛されながら商売をしていたからこ

そ、こうしたマニアックな本が存在したのだと思われます。