江戸の本格ギャンブラーたちの遊び | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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以前、ワハハ本舗の久本雅美さんと柴田理恵さんが雑誌の対談で、

「金がないから、ヤケ酒ばかり飲んでたよね」

「うん。どんなに貧乏でひもじくても、飲む金だけは、何故かあるんだ

よね」

という会話をしていたのを、記憶しております。


これ、よくわかります。私にも、同じ記憶があるし、多くの酒飲みが、”

確かにそうだ”と、うなずくことでしょう。金がないからといって酒を我慢

するのは、本当の酒飲みではないのです。本当に飲みたい気持ちが

強烈なら、生活費がなくても飲み代だけはどこかから入るものです。


なんて、無茶苦茶な話から入ってしまいましたが、これから取り上げる

テーマは、酒ではなく、ギャンブルです。江戸時代のギャンブラーたち

のギャンブルへの執念も、これと似たものがあったようなのです。


サイコロやカードがなければギャンブルができないというのは、本物の

ギャンブラーではなかったようです。賭け事の材料など、どこにでも

転がっていたからです。


江戸時代、「タネカキ」という遊びが、ギャンブラーたちの間で流行りま

した。これは、柿の中にいくつ種が入っているかを当てる賭けです。冬

になればみかんで、何房入っているかを当てます。


配当金は、ピタリ賞からどれだけ近かったかまで、その勝負内容のレベル

によって違っていたようです。


また、こういうことは売る側の業者の間でも行なわれていたそうで、たとえ

ばスイカ売りの間ではスイカの目方を、更に、紙くず屋という今だとリサイ

クル屋に当たる業者がおりまして、彼らはハカリが商売道具でしたので、

手近にある物を全部賭けの対象にしていた。なんて話もあります。


有名な落語で、「次にすれ違うのが男か女」かで賭けをしたところ、坊主頭

の人が来たので男かと思ったら尼さんだった。というのがありますね。


ちなみに、私は、酒は飲みますが、ギャンブルはやりません。センスがま

るでなく、負けることがあまりに明白。「やるな!」というセンサーが常に脳

の中で働いているようですので。