吉原遊郭で生まれた「冷やかし」という言葉。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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「冷やかし」という言葉は、誰かを軽い気持ちでからかうことを、

今は主に言います。「軽い気持ちで」としたのは、悪感情を持って

からかうような場合、「冷やかし」という言葉は適切でない気がす

るからです。


また、買う気もないのにどこかの店に入って、軽口をちょこっと

たたいて出てしまうことも、「冷やかし」といいますね。元々は、

こっちの意味が本筋でした。


ですから、漢字も、「素見」と書きました。これで、ひやかしと読ませ

ていたのです。


「つらいこと 素見にばかり 惚れられる」


なんていう川柳が、残っています。


この言葉、江戸の吉原から、生まれたそうです。

吉原の近くには、紙すき職人が結構住んでおりました。彼らは、紙

の原料を水に冷やしている間、暇な時間ができます。


そんな時間の暇つぶしに、彼らは、近くの吉原の知りあいの遊女を

からかいに行くのです。金を出して遊ぶ気もないくせにやってくる。

そして、無駄口をたたいて帰ってしまう。そんな職人たちの様子を表現

する言葉が、ひやかしでした。


彼らの目的は、紙を冷やしている間の暇つぶしなので、「冷やかし」と

呼ばれたのです。


しかしその後、紙すき職人と吉原遊郭だけでなく、あちこちで似たような

光景が見られるようになったため、漢字の書き方が改められ、「素見」

という当て字が正式になったようです。まあ、買う気もないのに、暇つぶ

しに店に寄る。という意味からすれば、こちらの字の方が合っていると

思います。


ですが、今はこの書き方はなくなり、正式ではなかった「冷やかし」の

方が使われていますね。

日本の場合は特にですが、言葉の意味というのは大体拡大解釈されて

いくのが自然のなりゆきというものです。


そして、このひやかしも、冒頭に触れたように、悪意のないからかい、

茶化しなどが含まれるようになりました。そうしていくうちに、意味が限定

されてしまうような「素見」よりも、「冷やかし」の方が、イメージ的にピンと

来る。ということで、「冷やかし」が正式になったようです。