1853年、ペリー率いる黒船が日本に来航しました。その時、日本中
が恐れおののいたという風にずっと思われていたようです。まあその
方がもっともらしいと上の人間が思ったので、そのように資料が作ら
れたのでしょう。
しかし実際には、基本おおらかで好奇心の超旺盛な日本人のこと。
小舟を漕いで接近をしたり、乗組員との接触に成功して舶来品の小物
をもらったりした者もいたりして、結構ノー天気な反応だったのです。
また、各藩は、この黒船に関する情報収集に努めておりました。その
中で最もユニークだったのは、伊賀上野国の津藩主・藤堂和泉守で
す。
伊賀といえば、忍者です。その伝統は消えておらず、忍者の存在は一応
幕末になっても消えていなかったのでした。そして藤堂和泉守は、沢村
甚三郎という腕利きの忍者に黒船への侵入を命じたのです。
そしてこの沢村甚三郎、侵入に成功。幾つかの文書と品物をくすねて
きました。その文書の内容ですが、
「イギリス女中はベッドが上手。フランス女中は料理が上手。オランダ
女中は掃除が上手・・」
といった軽いものばかり。他、タバコ、ロウソク、パンなどでした。
役立つ物がなかったように言われていますが、そもそも国を左右するよ
うな大事な物は、持ってこなかったか、来ていても部屋に置きっぱなし
にはしなかったのでしょう。
ただ、忍者の見た洋室のきらびやかさは印象的だったらしく、その話を
元に津藩では様式軍隊を導入して、訓練に乗り出したといいます。
ところで、黒船が何故黒いか、あまり知られていないと思います。それは、
コールタールが塗られていたからです。黒船は、木造だったのです。