源頼朝と義父・北条時政、犬猿の仲の二人が共に逆らえなかった相手 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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北条時政は、源頼朝の妻・北条政子の父。だから、頼朝とは義理の父子に

なります。この二人の関係を悪化させたきっかけは、頼朝の浮気です。とい

っても、時政が娘の立場を思って激怒したというのではありません。


事の次第ですが、まず頼朝が亀の前という女性に浮気をします。しかも、政

子が頼家を身ごもっている間にこの亀の前を家来の家に住まわせておりま

した。


このことを、政子に密告した人がおります。時政の後妻で、政子の継母にな

っていた、牧の方という女性でした。この人は、政子と折り合いが悪かったの

ですが、だからこそ面白がったというか、政子の怒る姿を見たかったのかも

しれません。しかも、自ら直接告げるのでなく、一族の牧宗親を通して政子

の耳に入れました。多分、自分が言っても信じないと、思ったのでしょう。


怒った政子は、牧宗親に、亀の前を住まわせていた頼朝の家来・伏見広綱

の家を破壊するように命じ、宗親は実行したのです。今度は、頼朝が怒りま

した。しかし、政子に対しては恐くて何も言えず、密告した宗親のまげを切り

落とすという恥辱を与えたのです。


これに対して怒ったのが、北条時政でした。妻の一族に恥辱を与えたという

理由です。時政は、頼朝と絶交状態になりました。


一見、絶交くらい何てことないように思えますが、実はこれ、頼朝にとって痛

かったかもしれません。というのは、浮気に関して、政子の怒りが頼朝に対し

ても向けられないはずがなく、頼朝はこの後政子の猛烈ないびりと締め付け

にあい続け、心身症に陥っています。


頼朝の死因は謎ですが、最も多く言われるのが落馬説。まあこれも、心身症

が遠因ではあるのですが、次によく言われるのが、政子に直接斬り捨てられ

たという説です。


私の予想は、追い詰められた状態で夫婦生活を強要されて、極度の緊張に

よる心臓麻痺。まあ、腹上死に近いものだったと思います。


頼朝にすれば、政子の父の時政が相談役、政子に対するなだめ役をしてく

れれば、気持ちも少しは楽になり、寿命も延びたのではないかと思うのです。

頼朝にとって痛かったかもしれないというのは、このことです。


ただ時政も、後に、牧の方と組んで3代将軍・源実朝を廃し、牧の方の娘婿

の平賀朝雅を擁立しようとしたことで政子の逆鱗にふれ、追放されてしまうの

でした。


つまり、父の時政も、夫の頼朝同様、政子に勝てないのです。だからこそ、こ

っそりとでも仲良くしておけば、対処の仕方も見つかったのにと、思うわけです。

ただ、実朝は政子の息子だから時政と牧の方(この人も時政と一緒に追放さ

れています)に激怒するのはわかります。しかし、時政にとっても孫。廃除す

るほどではないはずなのですが、よっぽど牧の方にのぼせ上がっていたので

しょうか。


その辺は、明日触れようと思います。