織田信長は、茶の湯好きで有名ですが、実際のところ、茶の湯そのもの
が好きだったのか、それとも、その道具・茶器好きの口実で茶の湯も好き
なふりをしていたのか、定かでありません。
とにかく信長の茶器マニアぶりは半端ではなく、すさまじいコレクターぶ
りだったということです。それを知っている他の武将たちは、信長が権力を
得るにつれて、ゴマすりのために秘蔵の名器を献上するケースも増えまし
た。豪商たちもそれにならっていたので、信長の許にはかなりの名物茶器
が集まっていました。
主君のそういう熱心な趣味というのは、家臣たちにも広がるのが通常です。
信長の場合、家臣が自分と同じ趣味を持つのを喜んだので、尚更でした。
そして、合戦における戦功の賞与として、自らの所蔵の名茶器を与えるこ
とも、しばしばでした。
そんな織田信長の有力家臣に、滝川一益(かずます)という男がおりました。
この人は、武将としての力もなかなかでしたが、一方で、信長に負けぬくら
いの茶器マニア、コレクターでもありました。
1582年、天正10年の3月、甲斐国武田勝頼征伐の際に、この滝川一益
は先鋒として大活躍します。信長は当然この人の戦功を讃えました。そして、
上野一国と佐久・小県が与えられた上、厩橋城主にも任ぜられます。
これは、どう見ても超破格の栄転なのです。信長としても、精一杯誠意を
見せてはずんだつもりでした。しかし当の滝川一益は嬉しそうな顔を全くせ
ず、言うのです。
「上様、私が何より欲しいのは、国や城ではなく、『珠光小茄子』です。あれを、
お譲り願えないでしょうか」
信長の持つ秘蔵の茶入れをいたく気に入っていて、それをぜひ欲しいという
のです。城と一国半ほどの領土よりも、名物茶入れの方が大事ということな
のです。簡単なことかと思ったら、信長、
「すまん。あれだけは、誰にも譲るわけには行かぬのだ」
と断ったのです。およそ、マニアにしかわからない会話でしょう。武将たちは、
趣味に対しても、命がけだったのです。まあ、そういう感覚、私は大好きです。