「青田買い」ならぬ「青田狩り・戦術」を実行した人、拒否した人 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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戦の際の戦術のひとつに、「兵糧攻め」というのがあります。これは、

相手を直接攻撃するのでなく、その食糧や資金を底をつかせて弱ら

せていくというねちっこく陰湿な戦法です。


この兵糧攻めの代表的なものが、「青田刈り」と呼ばれるものです。

敵国の田畑を全て焼いてしまう。するとその国は収穫ができなくな

るため、食糧がなくなり、戦意をどんどん失っていくということです。


このやり方を究極に実行したのが、豊臣秀吉でした。1581(天正

9)年、山名豊国を城主とする鳥取城を攻める時、直接城を攻めず

に周囲の田畑及び森林まで全て燃やしてしまったのです。


これによって、食糧がなくなるだけでなく、雨が降るとその水を吸い

込む森林がないため、洪水になります。また、貯水設備も作用しな

くなるのでした。秀吉はこのやり方で、鳥取城を奪い取ったのでした。


逆にこの「青田刈り戦術」を絶対にやらない武将も、いました。上杉

謙信、そして、秀吉の上司だった織田信長です。


「我々が戦う相手は、敵の兵士であって、農民など、一般庶民では

ない。何故そのような者たちまで、苦しめなければならないのだ」


二人はまるで口を揃えたかのように、同じ上の言葉を口にしていた

そうです。


上杉謙信は、わかるというか、今の世間でイメージされている通りで

しょう。しかし、織田信長は、意外に思われるかもしれません。


しかし彼の暖かエピソードは、これだけではありません。自らが戦に

向かう時、農民が無関心に野原で寝そべっているのを見て家臣が、


「自国の将が戦に向かうのに、送ることもせず、何事か」と家臣が怒る

のを、「我々が戦に向かうのは、何のためだ?庶民が平和に暮らせる

ためだろう。だから、農民たちのあのような姿を、我々は支えとし、今後

も守っていかねばならない。そのための戦ではないか」と言ってたしな

めたそうです。また、


「たとえ部下が失敗しても、それが一生懸命やった結果のものであれば、

ただ叱るのでなく、その失敗が次の成功につながるよう導いてあげる

のが、上に立つ者の務めだ」


これも、織田信長の言葉です。殺してしまえホトトギスばかりが独り歩き

していますが、実際は臨機応変に行動していて、秀吉よりはるかに人情

家でもあったようです。


尚、「青田刈り」と音が似た言葉で「青田買い」というのがありますが、こ

れは、将来の収穫を見越して稲がまだ青いうちから買い取ってしまうこ

とです。今もこの言葉は、応用して使われていますね。