坂本竜馬の進取の気性と女の趣味との関係 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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偉人の中には、生き急いだと言われるような人生を送った人も少なく

ありません。幕末のカリスマ、坂本竜馬もその一人でしょう。


彼の場合、以前にもここで書きましたが、当時不治の病だった梅毒を患

っていて自らの命が長くないことを察していたこともあります。ただ、それ

はかなり後になってからの話で、最初から梅毒だったわけはないのです。


坂本竜馬は、ただでさえ、頭の回転や気分転換が早い人だったようでし

た。せっかちとは違いますが、進歩的で前向き。それこそ昨夜の記事に続

くようですが、迷うくらいなら何かやって失敗した方がましだくらいに考える

人だったようです。


若い頃、当時流行だった長い刀をさしている土佐勤王党の檜垣清治を見

て、「実戦では長い刀より短い刀の方が、小回りが利いて良い」といいまし

た。しかし次に会った時は、「これには刀など役に立たぬ」と言って、懐か

らピストルを取り出し、一発発射したそうです。


しかしその次に会った時には、『万国公法』という本を取り出し、「これから

は学問だ」と言ったので、檜垣は”この男にはとてもついていけない”と思っ

た。ということです。


まあ、言うことがコロコロ変わるということなのでしょうが、しかし根本的な

人生の目標や思想にはゆるがぬ筋が一本通っていたわけですから、意志

がはっきりしないのとは違うのです。新しいものを見つめ、その時の最もふ

さわしいものを取り入れようとする進取の気性に富んでいたということだと

思います。


ところで坂本竜馬を語る際にヒロインとして必ず登場するのが、妻のお龍

ですね。ただこの人は、竜馬の死後、アル中になったことが、大々的に伝え

られています。


別に、竜馬の死がショックで酒浸りになったとかいうことでは、ありません。

気性が激し過ぎて、周囲と折り合わなかったようです。土佐藩で竜馬と同僚

だった佐々木高行はお龍のことを、


「大変な美人だが、賢婦といえるかどうかは、疑わしい。悪人でないことは

確かだが」


そう評しています。


しかしこれは、見方によると思います。常識的な感性のもとに生きていたら、

大きな失敗はなくても当たり前のことしかできないでしょう。これは人生の

パートナー選びにも通じるところで、明治あたりに賢婦と言われるようなしっ

とりとした控えめで常識的な女性と結婚して大仕事ができたかというと、疑問

が残るのです。


たとえば、今悪妻の代表みたいに言われている野村克也夫人のサッチー、

落合博満夫人の信子はん。どちらも気性は激しいと思われますが、旦那は

充分力を発揮しています。恐らく、ああいう油断のならない人と一緒にいた

方が、良い意味の緊張感と共に、勝負勘も養われるのだと思えるのです。


竜馬は、若い頃、剣術だけでなく武術全体に達人レベルだったとされる、千葉

佐那(千葉周作の姪)とつきあっています。多分、負けん気の強い女性が好き

で、そういう女性とのつきあいによって感性や進取の気性が磨かれていった

のだと思います。従順ででおしとやかな女性とつきあっていたら、彼のカリスマ

性は存在しなかったのではないかと思えるのです。


ということで、坂本竜馬夫人のお龍は、サッチーか落合信子はんのような気性

の人だったのではないかと、私には思えます。